『弌墅截(いちのきり)』とは
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『弌墅截』は、江戸時代、四国・伊予にあった宇和島藩10万石を構成する各村毎の租税台帳です。
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『弌墅截』は、『弌墅切』と同義であり、『一村切』つまり『一村毎』を意味します。
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『弌墅截』は、1684年(貞享元年)に出来上がり、全16巻からできています。 当時『弌墅截』は、藩の最高機密文書でした。
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『弌墅截』の情報を、誰でも利用できるようになったのは、1977年以降です。
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『弌墅截』は、三好昌文らによって筆写され、出版されました。
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『宇和島藩庁伊達家史料 弌墅截上』が1977年に、『同下』が1978年に、 『近代史文庫宇和島研究会』(佐川印刷)から出版されました。
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この研究データベースは、『宇和島藩庁伊達家史料 弌墅截上・下』をもとに作成しています。
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宇和島藩
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宇和島藩は、江戸時代の1615年(元和元年)3月の伊達秀宗の入府に始まり、明治維新まで9代250余年続きました。
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1614年(慶長19年)に、大阪冬の陣が終わります。 同年の12月に、その論功行賞として仙台藩主の伊達政宗の庶長男秀宗が宇和郡10万石の領主に任命されます。
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宇和島藩の歴代藩主は以下のとおりです。
代 | 藩主 | 在任期間 |
1 | 伊達秀宗(ひでむね) | 1614年(慶長19年)〜1657(年明暦3年) |
2 | 伊達宗利(むねとし) | 1657年(明暦3年)〜1693年(元禄6年) |
3 | 伊達宗贇(むねよし) | 1693年(元禄6年)〜1711年(宝永8年) |
4 | 伊達村年(むらとし) | 1711年(宝永8年)〜1735年(享保20年) |
5 | 伊達村候(むらとき) | 1735年(享保20年)〜1794年(寛政6年) |
6 | 伊達村壽(むらなが) | 1794年(寛政6年)〜1824年(文政7年) |
7 | 伊達宗紀(むねただ) | 1824年(文政7年)〜1844年(天保15年) |
8 | 伊達宗城(むねなり) | 1844年(天保15年)〜1858年(安政5年) |
9 | 伊達宗徳(むねえ) | 1858年(安政5年)〜1871年(明治4年) |
なお、宇和島藩に関する情報は、宇和島市立伊達博物館から得ることができます。
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10組213村
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1684年(貞享元年)当時の宇和島藩は、10組213村から構成されていました。
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宇和島藩では、郷村支配のために10組の組編成を行っていました。
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10組とは、城下,御庄,津島,河原淵,廣見内,山奥,野村内,宇和内,矢野保内,浦方です。
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『弌墅截』は、城下,御庄,津島,河原淵,廣見内に関しては各々1冊、山奥,野村内,宇和内,矢野保内,浦方に関して各々2冊から成っています。
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また、9組の里方(農山村)と浦方(漁村)とに大別されます。
10組213村の構成は以下のとおりです。
組 | | 村名 |
城下 | | 毛山村(けやま),中間村(なかいだ),柿原村(かきはら),光満村(みつま), 高串村(たかぐし),下村(しも),川内村(かわち),寄松村(よりまつ), 宮下村(みやした),稗田村(ひえだ),祝之森村(いわいのもり) |
御庄 | | 左右水村(そうず),長月村(ながつき),和口村(わぐち),緑村(みどり), 上大道村(うわおおどう),廣見村(ひろみ),正木村(まさき),板尾村(いたお), 小山村(こやま),中之川村(なかのがわ),満蔵村(みちくら),城邊村(じょうへん), 平城村(ひらじょう),長洲村(ながす),摺木村(するき),柏村(かしわ) |
津島 | | 野井村(のい),岩淵村(いわぶち),芋地谷新田(いもじや),秀松村(ひでまつ), 槙川村(まきがわ),高田村(たかた),下畑地村(しもはたじ),上槙村(かみまき), 芳原新田(ほはら),上畑地村(かみはたじ),大道村(おおどう), 御代之川村(みよのかわ),山財村(さんざい),颪辺村(おろしべ),御内村(みうち), 岩松村(いわまつ) |
河原淵 | | 牛野河村(うしのかわ),北川村(きたがわ),奈良村(なら), 奈良中之川村(ならなかのがわ),芝村(しば),近永村(ちかなが), 永野市村(ながのいち),次郎丸村(じろうまる),中之川村(なかのがわ), 松丸村(まつまる),岩熊新田(いわくま),樫谷村(かしだに), 上家地村(かみいえじ),延野村(のびの) |
廣見内 | | 廣見村(ひろみ),下大野村(しもおおの),中尾坂村(なかおざか), 小西野々村(こにしのの),西野々村(にしのの),清水村(せいずい), 松之森村(まつのもり),畔屋村(あぜや),大宿村(おおじゅく) |
山奥 | 山奥上 | 魚成本村(うおなしほん),田野村(たの),長谷村(ながたに),今田村(いまで), 男川内村(おんがわち),下相村(おりあい),土居村(どい),古市村(ふるいち), 中津川村(なかつがわ),伏越村(ふしごえ) |
| 山奥下 | 川津南村(かわづみなみ),窪野村(くぼの),鑰之緒村(かぎのお), 野井之川村(のいのかわ),遊子谷村(ゆすだに),相川村(そうがわ), 横林村(よこばやし),坂石村(さかいし) |
野村内 | 野村内上 | 西村(にし),栗木村(くりのき),釜之田村(かまのた),中通川村(なかとおがわ), 釜之川村(かまのかわ),前石村(さきいし),阿下村(あげ),蔵良村(くらら), 高瀬村(たかせ),伊与路川村(いよじがわ) |
| 野村内下 | 平野村(ひらの),片川村(かたかわ),次ヶ川村(つがのかわ),野村(の), 蔵村(くら),白髯村(しらひげ),鳥鹿野村(とじかの),林乗村(りんじょう), 広田村(ひろた),長谷村(ながたに),四郎ヶ谷村(しろがたに),河西村(かわさい) |
宇和内 | 宇和内上 | 明間村(あかんま),下川村(しとうかわ),皆田村(かいだ),伊南坊村(いなんぼう), 新城村(しんじょう),明石村(あげいし),伊賀上村(いがのうえ),松葉村(まつば), 鬼ヶ窪村(おにがくぼ),上松葉村(かみまつば),下松葉村(しもまつば), 久枝村(ひさえだ),神領村(じんりょう),野田村(のだ),小野田村(おのだ), 永長村(ながおさ),山田村(やまだ),鞍貫村(くらぬき) |
| 宇和内下 | 鎌之倉村(かまのくら),若山村(わかやま),谷村(たに),影之平村(かげのひら), 布喜之川村(ふきのかわ),中津川村(なかつがわ),国木牛名村(くにぎうじな), 田浪村(たなみ),古薮村(ふるやぶ),河舞村(こうまい), 大峠村・五反田村(おおとう・ごたんだ),八代村(やしろ),南茅村(みなみかや), 北茅村(きたかや),松尾村(まつお),下郷村(しもごう),上郷村(かみごう), 河之内村(かわのうち)
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矢野保内 | 矢野保内上 | 常定寺村(じょうじょうじ),田野中村(たのなか),窪村(くぼ),平野村(ひらの), 伊崎村(いさき),坂戸村(さかど),賀茂村(かも),大江村(おおえ), 東多田村(ひがしただ),河内村(かわち),伊延村(いのべ),岡山村(おかやま), 田苗真土村(たなえまつち),杢所村(もくしょ),清澤馬木村(きよさわうまぎ), 小原村(おばら),両岩木村(りょういわき),郷内村(ごうない),津布理村(つぶり) |
| 矢野保内下 | 野田村(のだ),平地村(ひらじ),高野地今長谷村(たかのじ、いまばせ), 津羽井村(つばい),大平村(おおひら),須川村(すがわ),日土村(ひづち), 喜木村(きき),宮中村(みやなか),両家村(りょうけ),枇杷谷村(びわだに), 皷之緒村(つづみのお) |
浦方 | 浦方上 | 加室浦(かむろうら),穴井浦(あない),真網代浦(まあじろ),合田浦(ごうだ), 舌間浦(したま),矢野町(やの),八幡浜浦(やはたはま),栗之浦(くりの), 向灘浦(むかいなだ),河之石浦(かわのいし),磯崎浦(いさき),伊方浦(いかた), 九町浦(くちょう),二見浦(ふたみ),三机浦(みつくえ),三崎浦(みさき), 須賀椛崎浦(すがかばさき),大浦(おおうら),奥浦(おくうら),高山浦(たかやま), 九島浦(くしま),坂下津浦(さかしづ),石應浦(こくぼ),小池九濱浦(こいけくはま), 蕨平浦(わらびひら) |
| 浦方下 | 東三浦(ひがしみうら),西三浦(にしみうら),上波浦(うわば),戸島浦(とじま), 日振浦(ひぶり),近家浦(ちかいえ),下灘浦(しもなだ),内海浦(うちうみ), 平山浦(ひらやま),成川坊城浦(なるかわぼうじょう),深泥浦(みどろ), 須之川浦(すのかわ),外海浦(そとうみ),沖之島(おきのしま),鵜来島(うぐるしま) |
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なお、『弌墅截(いちのきり)』において、以下の各二村に関する記載は村別のデータがなくまとめて記載されている場合があるので、一ケ村とします。
宇和内の国木村と牛名村は国木牛名村に、大峠村と五反田村は大峠村・五反田村とします。 矢野保内の田苗村と真土村は田苗真土村に、清澤村と馬木村は清澤馬木村に、上岩木村と下岩木村は両岩木村に、高野地村と今長川村は高野地今長谷村にします。
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当時の村の所在地を、『日本地名大辞典』(角川書店)と『愛媛県の地名』(平凡社)を利用して確定しました。各村の一覧表
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その所在地をグーグルマップ上に表示します。各村の地図
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各組別の地図は、『弌墅截(いちのきり)』研究データベース から地図帳を開き、組名と点データ項目の村をチェックしてをクリックすると得れます。
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現在の行政区画
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各村の所在地は現在、愛媛県宇和島市,西予市,八幡浜市,大洲市,愛南町,伊方町,鬼北町,松野町及び高知県宿毛市に位置します。
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これらの市町村の行政区画とホームページの情報は、位置情報データベースから得れます。
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位置情報データベース −
日本地図帳 −
市区町村役場の所在地・ホームページ・行政区画の境界線 −
愛媛県を選択します。
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このホームページからは、各市町村へのホームページがリンクしています。
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さらに、
宇和島市,西予市,八幡浜市,大洲市,愛南町,伊方町,鬼北町,松野町 のいずれかをチェックし、をクリックすると、行政区画の境界線が表示されます。
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たとえば、宇和島市は、
宇和島市の行政区画
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松野町を除く市町村では、2004年から2005年にかけて、合併が行われました。
合併前後の市町村の名称は、以下のとおりです。 『日本地名大辞典』と『愛媛県の地名』には、合併前の市町村名が記載されています。
合併後 | 合併年 | 合併前 |
宇和島市 | 2005年 | 宇和島市,吉田町,津島町,三間町 |
西予市 | 2004年 | 宇和町,野村町,明浜町,城川町,三瓶町 |
八幡浜市 | 2005年 | 八幡浜市,保内町 |
大洲市 | 2005年 | 大洲市,長浜町,肱川町,河辺村 |
伊方町 | 2005年 | 伊方町,瀬戸町,三崎町 |
鬼北町 | 2005年 | 広見町,日吉村 |
愛南町 | 2004年 | 御荘町,城辺町,一本松町,西海町,内海村 |
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各組の村が、どの市町村に属するか、グーグルマップで確認できます。
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これらの情報は、『弌墅截(いちのきり)』研究データベースから得れます。
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『弌墅截(いちのきり)』研究データベース −
地図帳 を開き、 組の選択(複数も可)を行い、点データ 項目で村をチェックし、線データ 行政区画の境界線で該当市町村をチェックし、をクリックすると得れます。
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吉田藩
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1657年(明暦3年)に、伊達秀宗の五男秀純に3万石が分与され、吉田藩が成立します。
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吉田藩の各村は、以下のとおりです。 組の名称は、1614年(慶長19年)当時のものです。郡鑑より作成
組 | 村 |
有馬組
| 戸鴈村(とがり),大藤村(おおふじ),黒井地村(くろいじ),則村(すなわち), 成家村(なるいえ),曽根村(そね),能寿寺村(のうじゅうじ),是房村(これふさ), 無田村(むでん) |
土居組
| 宮ノ下村(みやのした),末盛村(すえもり),石原村(いしはざ),土居中村(どいなか), 迫目村(はざめ) |
中野内上組
| 小沢川村(こそうがわ),元宗村(もとむね),川之内村(かわのうち),田川村(たがわ), 波岡村(なみおか),中野中村(なかのなか),金銅村(かなどう), 土居垣内村(どいかきうち) |
中野内下組
| 小藤田村(ことうだ),大内村(おおうち),兼近村(かねちか),沢松村(さわまつ), 告森村(こつもり){音地村(おんじ),黒川村(くろかわ),中間村(なかいだ), 成藤村(なるふじ)} |
須田組
| 是延村(これのぶ),吉波村(よしなみ),瀬波村(せなみ),内深田村(うちふかた) |
薄木組
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清延村(きよのぶ),国遠村(くにとお) |
川原淵組
| 吉野村(よしの),奥ノ川村(おくのかわ),奥野々村(おきのの),目黒村(めぐろ) |
貞延組
| 上川原淵村(かみかわらぶち),小倉村(おぐわ),小松村(こまつ),延川村(のぶかわ), 鍵山村(かぎやま),日向谷村(ひゆうがい),父野川村(ちちのかわ), 上大野村(かみおおの),川上村(かわかみ) |
津島組
| 北灘浦(きたなだ) |
保内組
| 喜木津浦(ききつ),朝立浦(あさだつ),安土浦(あづち),皆江浦(みなえ), 有網代浦(あらじろ),有太刀浦(あらたち),川名津浦(かわなづ),周木浦(しゆうき), 二及浦(にぎゆう),垣生浦(はぶ),蔵貫浦(くらぬき),上泊浦(かみどまり) |
板嶋組
| 立間村(たちま),深泥浦(みどろ),下波浦(したば),喜佐方村(きさがた), 蒋淵浦(こもぶち),渡江浦(とのえ),狩浜浦(かりはま),俵津浦(たわらづ), 深浦(ふかうら),法花津浦(ほけづ),白浦(しろうら),南君浦(なぎみ) |
各村の所在地をグーグルマップ上に表示します。村の所在地
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検地
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『弌墅截』には、3回の検地にもとづく田畑の元畝(もとせ、耕地面積)が記載されています。
次に、3回の検地に関連する年表を掲げます。
1588年(天正16年) | 太閤検地
1間=6尺5寸竿 |
1614年(慶長19年) | 伊達秀宗、宇和島10万石の領主
藤堂和泉殿より引渡し 「元畝」
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1645年〜1648年(正保年間) | 岡谷兵右衛門の検地 「検地畝」
1間=6尺3寸竿
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1670年(寛文10年)〜1672年(寛文12年) | 寛文の内ならし検地 「庄屋中」
1間=6尺竿 |
1684年(貞享元年) | 『弌墅截』 伊関又右衛門盛英 |
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慶長19年に、当時幕領であった宇和郡の代官・藤堂高虎より領地の引渡しが、伊達秀宗に行われます。
このときの耕地面積は、「元畝」として記載されています。
この耕地面積は、天正16年の太閤検地に用いられた1間=6尺5寸竿によって行われたとされています。
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正保年間には、岡谷兵右衛門により1間=6尺3寸竿を用いた検地が行われました。 これは、「検地畝」として標記されています。
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寛文のうちならし検地では、1間=6尺竿を用いた検地が行われ、「庄屋中」として標記されています。
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尺貫法による面積の単位となる坪(つぼ)は、一辺が1間(6尺)の正方形の面積と定義されています。 従って、1間の物指しが異なれば、同じ面積でもその数値が異なります。
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1尺 = 10寸 = 10/33メートル
「元畝」では、1間=6尺5寸竿、1坪=(6.5*10/33)2=3.879706m2
「検地畝」では、1間=6尺3寸竿、1坪=(6.3*10/33)2=3.644628m2
「庄屋中」では、1間=6尺竿、1坪=(6*10/33)2=3.305785m2
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同じ畝数でも、面積比は、 「庄屋中」:「検地畝」:「元畝」= 1 : 1.1025 : 1.1736
となります。従って、「庄屋中」,「検地畝」,「元畝」の面積を比較するときには、この補正が必要です。
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資料『弌墅截』光満村
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『弌墅截』は、 伊関又右衛門盛英によって編纂され、1684年(貞享元年) 成立しました。
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『弌墅截』は、宇和島藩の各村毎の租税台帳です。 租税は、1670年(寛文10年)〜1672年(寛文12年)の寛文の内ならし検地をもとに、1673年(延宝元年)の 定免(じょうめん)制によって決められました。
定免制とは、ある一定期間、年貢高を固定する制度です。
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次の資料は、三好昌文の『宇和島藩庁伊達家史料 弌墅截上』における、城下全光満村に関するページです。
著者の了解を得て掲載します。
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津出道法
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各村の最初に記載されているのが、津出道法(みちのり)です。
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津出道法には、津出し所,そこまでの距離、さらに道法の特徴や廻船の運賃が記載されています。 津出しとは、「港から荷船を出すこと」を意味しますが、ここでは港に限らず、荷(米や大豆など)を運び出すことを意味していると解釈できます。
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津出し所として、以下の地名があげられます。
高丸(高丸蔵),坂石蔵,こごみ,三ツ石,硯,大洲御領森山,大洲大竹村船着,須合田(すごた), 宮中蔵,雨井内舟場(雨井),宮内村蔵所,八幡浜,津布里(蔵本),濱(鞍貫村),俵津浦,法花津(ほけつ), 深浦(吉田藩),御城下(御蔵),津島芳原村船着,岩松村船着,当所浜(御庄長洲村),深浦(御庄), 平城貝塚(貝塚),当所浜(御庄柏村),満蔵(満蔵御蔵)
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津出し所をグーグルマップ上に表示します。津出し所
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この地理情報は、
『弌墅截(いちのきり)』研究データベース −
地図帳 を開き、 組の選択で全村をチェックし、点データ 項目で津出しをチェックし、をクリックすると得れます。
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津出と村
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次の表は、どの村からどの津出し所に出されていたかを示します。
津出し所2が存在する場合は、津出し所2を経由して津出し所1に運ばれます。
リンク先は、津出し所と村を示すグーグルマップ、道法の地理情報です。
津出し所1 | 津出し所2 | 組 | 村 |
須合田 | 坂石蔵 | 野村内上 | 釜之川村 |
| 高丸 | 山奥上 | 魚成本村,田野村,長谷村,今田村,男川内村,下相村,
土居村,
古市村,中津川村,伏越村 |
| | 山奥下 | 川津南村,窪野村,鑰之緒村,坂石村 |
| | 野村内上 | 前石村 |
| こごみ | 野村内上 | 栗木村,釜之田村 |
| 三ツ石 | 野村内上 | 西村,中通川村,阿下村,蔵良村 |
| | 野村内下 | 平野村 |
| 硯 | 山奥下 | 野井之川村,遊子谷村,相川村,横林村 |
| 大洲大竹村 | 野村内上 | 伊与路川村 |
| | 野村内下 | 蔵村,白髯村 |
| 大洲御領森山 | 野村内上 | 高瀬村 |
雨井内舟場 | | 矢野保内下 | 須川村,日土村,喜木村,宮中村,両家村,枇杷谷村, 皷之緒村 |
| 宮内村蔵所 | 矢野保内下 | 両家村,枇杷谷村,皷之緒村 |
八幡浜 | | 宇和内下 | 鎌之倉村,若山村,谷村,布喜之川村,中津川村, 国木牛名村,田浪村,古薮村,河舞村, 大峠村・五反田村,八代村,南茅村,
北茅村,松尾村, 下郷村,上郷村,河之内村 |
| | 矢野保内上 | 東多田村,河内村,伊延村,岡山村 |
| | 矢野保内下 | 野田村,平地村,高野地今長谷村,津羽井村,大平村 |
津布里 | | 宇和内上 | 山田村 |
| | 宇和内下 | 影之平村,矢野保内上 |
濱(鞍貫村) | | 宇和内上 | 鞍貫村 |
俵津浦 | | 宇和内上 | 伊南坊村,新城村,明石村,伊賀上村,鬼ヶ窪村, 上松葉村,
下松葉村,久枝村,神領村 |
| | 矢野保内上 | 常定寺村,田野中村,窪村,平野村,伊崎村,田苗真土村 |
法花津 | | 野村内下 | 片川村,次ヶ川村,野村,鳥鹿野村,林乗村,広田村,
長谷村,四郎ヶ谷村,河西村 |
深浦(吉田藩) | | 宇和内上 | 松葉村 |
御城下(御蔵) | | 城下全 | 毛山村,中間村,柿原村,光満村,高串村,川内村,
寄松村,宮下村,稗田村,祝之森村 |
| | 御庄全 | 上大道村 |
| | 津島全 | 野井村,岩淵村,秀松村,槙川村,高田村,下畑地村,
上槙村,大道村,御代之川村,山財村,颪辺村, 御内村,岩松村 |
| | 河原淵全 | 牛野河村,北川村,奈良村,奈良中之川村,芝村,
近永村,
永野市村,次郎丸村,中之川村,松丸村, 樫谷村,
上家地村,延野村 |
| | 廣見内全 | 廣見村,下大野村,中尾坂村,小西野々村,西野々村,
清水村,松之森村,畔屋村,大宿村 |
| | 宇和内上 | 明間村,下川村 |
| 海上 | 浦方上 | 須賀椛崎浦 |
| 海上 | 浦方下 | 沖之島,鵜来島 |
津島芳原村船着 | | 津島全 | 下畑地村,上槙村,芳原新田 |
岩松村船着 | | 津島全 | 岩淵村,秀松村,槙川村,高田村,大道村,御代之川村,
山財村,颪辺村,御内村,岩松村 |
灘乃内嵐浦 | | 津島全 | 上畑地村 |
深浦(御庄) | | 御庄全 | 緑村 |
| 満蔵 | 御庄全 | 緑村,上大道村,廣見村,正木村,板尾村,小山村,
中之川村,満蔵村,上大道村,満蔵村 |
平城貝塚 | | 御庄全 | 左右水村,長月村,和口村,城邊村,平城村 |
当所浜(御庄柏村) | | 御庄全 | 柏村 |
当所浜(御庄長洲村) | | 御庄全 | 長洲村 |
海上 | | 浦方上 | 大浦,奥浦,高山浦,九島浦,坂下津浦,石應浦,
小池九濱浦,蕨平浦 |
| | 浦方下 | 上波浦,近家浦,沖之島,鵜来島 |
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津出
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津出し所から、海路を利用して、何処に運ばれたかの記載が明白なのは、以下の各村です。
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大阪と御城下に
地図
組 | 村 |
宇和内上 | 伊南坊村,新城村,明石村,伊賀上村,松葉村,鬼ヶ窪村,上松葉村,下松葉村,
久枝村,神領村,野田村,小野田村,永長村,山田村,鞍貫村,鎌之倉村 |
宇和内下 | 若山村,谷村,影之平村,布喜之川村,中津川村,国木牛名村,田浪村,古薮村,
河舞村,大峠村・五反田村,八代村,南茅村,松尾村,下郷村,上郷村,河之内村 |
矢野保内上 | 常定寺村,田野中村,窪村,平野村,伊崎村,坂戸村,賀茂村,大江村,東多田村,
河内村,伊延村,岡山村,田苗真土村,杢所村,清澤馬木村,小原村,両岩木村,
郷内村,津布理村 |
矢野保内下 | 野田村,平地村,高野地今長谷村 |
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御城下に
地図
組 | 村 |
御庄全 | 左右水村,長月村,緑村,大道村,廣見村,正木村,板尾村,小山村,中之川村, 満蔵村,城邊村,平城村,長洲村,摺木村,柏村 |
津島全 | 上畑地村 |
浦方下 | 下灘浦,内海浦,外海浦,沖之島,鵜来島 |
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浦方上八幡浜浦は、大阪と御城下
浦方上磯崎浦は、御城下
浦方上須賀椛崎浦は、御蔵と大阪
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以下の津出し所に関して、その先何処に運ばれたかの記載がありません。 (1)佐多岬半島の北に位置する須合田
(2)津島全の津島芳原村船着と岩松村船着
(3)浦方上の加室浦,穴井浦,真網代浦,合田浦,舌間浦,矢野町,栗之浦,向灘浦,河之石浦,伊方浦, 九町浦,二見浦,三机浦,三崎浦,大浦,奥浦,高山浦,九島浦,坂下津浦,石應浦,小池九濱浦,蕨平浦
ただし、大浦,奥浦,高山浦,九島浦,坂下津浦,石應浦,小池九濱浦,蕨平浦は、道法の記載あり。
(4)浦方下の東三浦,西三浦,上波浦,戸島浦,日振浦,近家浦,平山浦,成川坊城浦,深泥浦,須之川浦 ただし、上波浦,近家浦は、道法の記載あり。
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御城下と御蔵
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津出し所として、御城下と御蔵があります。
御蔵の位置と御城下の町並みを示す2枚の絵図があります。
御城下の絵図と城下町づくり
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正徳元年(1711年)の絵図には、右下方の丸之内和霊神社の傍に御蔵の文字が見えます。
従って御蔵の位置は、現在の国道56号線宿毛街道の丸之内和霊神社付近になります。
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安政・文久頃(幕末の1854〜1863年)の絵地図には、宇和島の町並みと新田が描かれています。
新田が開かれた年代は、次のとおりです(「宇和島市誌下巻」)。
冨堤新田は元文元年(1736年), 下村新田と山下新田は寛政7年(1795年),
兼助新田は文政10年(1827年), 岡村新田は弘化(1844〜1848年)
従って、1736年以前には、丸之内3丁目と丸之内4丁目は海に面していたことになります。
グーグルマップで見る宇和島の海岸線の変遷
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御城下(御蔵)までの道法
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陸路を利用して、御城下(御蔵)まで津出しをした各村の道法は、以下のとおりです。
組 | 村 | 道法 |
城下全 | 毛山村 | 御蔵・5町程(0.5Km) |
| 中間村 | 御蔵・15町程(1.6Km) |
| 柿原村 | 御蔵・27町46間(3Km) |
| 光満村 | 御城下・1里(3.9Km) |
| 高串村 | 御城下・1里(3.9Km) |
| 下村 | 御城下・10町余(1.1Km) |
| 川内村 | 御城下・17町(1.9Km) |
| 寄松村 | 御城下・21町(2.3Km) |
| 宮下村 | 御城下・17町(1.9Km) |
| 稗田村 | 御蔵・1里7町余(4.7Km) |
| 祝之森村 | 御城下・1里18町(5.9Km) |
津島全 | 野井村 | 御城下・2里15町30間(9.5Km) |
| 岩淵村 | 御城下・3里20町(14Km) |
| 秀松村 | 御城下・4里7町(16.5Km) |
| 槙川村 | 御城下・5里半(21.6Km) |
| 高田村 | 御城下・3里(11.8Km) |
| 下畑地村 | 御城下・4里8町(16.6Km) |
| 上槙村 | 御城下・5里28町(22.7Km) |
| 大道村 | 御城下・4里半(17.7Km) |
| 御代之川村 | 御城下・3里(11.8Km) |
| 山財村 | 御城下・3里半(13.8Km) |
| 颪辺村 | 御城下・3里余(11.8Km) |
| 御内村 | 御城下・5里8町(20.5Km) |
| 岩松村 | 御城下・3里(11.8Km) |
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組 | 村 | 道法 |
河原淵全 | 牛野河村 | 御城下・2里(7.9Km) |
| 北川村 | 御城下・2里余(7.9Km) |
| 奈良村 | 御城下御蔵・2里26町(10.7Km) |
| 奈良中之川村 | 御城下・3里余(11.8Km) |
| 芝村 | 御城下・3里余(11.8Km) |
| 近永村 | 御城下・3里余(11.8Km) |
| 永野市村 | 御城下・3里余(11.8Km) |
| 次郎丸村 | 御城下・4里余(15.7Km) |
| 中之川村 | 御城下・4里余(15.7Km) |
| 松丸村 | 御城下・4里余 (15.7Km) |
| 樫谷村 | 御城下・4里30町余(19Km) |
| 上家地村 | 御城下・5里余(19.7Km) |
| 延野村 | 御城下・4里余(15.7Km) |
廣見内全 | 廣見村 | 御城下・5里半余(21.6Km) |
| 下大野村 | 御城下・5里半(21.6Km) |
| 中尾坂村 | 御城下・5里半余(21.6Km) |
| 小西野々村 | 御城下・5里(19.7Km) |
| 西野々村 | 御城下・4里半(17.7Km) |
| 清水村 | 御城下・4里27町(18.7Km) |
| 松之森村 | 御城下・4里28町(18.8Km) |
| 畔屋村 | 御城下・4里半(17.7Km) |
| 大宿村 | 御城下・5里25町(22.4Km) |
宇和内上 | 明間村 | 御城下・4里(15.7Km) |
| 下川村 | 御城下・4里(15.7Km) |
浦方上 | 須賀椛崎浦 | 御蔵・7町(0.8Km) |
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御城下からの距離
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各村から御城下(御蔵)まで道法は、上記の表に示されています。 この値が妥当かどうかを、御城下からの直線距離を見積もることによって検討できます。
これには、「位置情報データベース」の「スケール,距離・方位,位置,道のり1,コンパス,分度器,扇,面積,方眼,道のり2」の機能を利用します。
これの「コンパス」の機能を用いると、御城下を中心とした円が描けます。
その利用方法は、御城下を中心に円を描く
半径5,10,15,20,25Kmの円を、各々
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線で描く
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村からの距離
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各村から御城下(御蔵)まで道法の妥当性を、各村を中心とした円を描くことで検討できます。
これには、『弌墅截(いちのきり)』研究データベースの道法を利用します。
その利用方法は、
各村を中心に円を描く
河原淵全の牛野河村,北川村,奈良村を中心として、道法を半径とする
,
,
線で円を描く
村と村の距離
| 道法の妥当性を、村と村の距離を測定することで検討できます。
これには、「位置情報データベース」の「スケール,距離・方位,位置,道のり1,コンパス,分度器,扇,面積,方眼,道のり2」の「距離・方位」の機能を利用します。 例として、河原淵全の樫谷村(御城下まで4里30町余(19Km))と上家地村(御城下まで5里余(19.7Km))の直線距離を測定します。
その利用方法は、
村と村の距離を測定
河原淵全の樫谷村と上家地村の距離を測定する
道法の測定
| 道法の妥当性は、村と村の道法を測定することによって、より詳しく検討できます。
測定には、「位置情報データベース」の「スケール,距離・方位,位置,道のり1,コンパス,分度器,扇,面積,方眼,道のり2」の「道のり2」の機能を利用します。 例として、御蔵から城下全祝之森村(御城下より1里18町,5.9Km)の道法を測定します。
その利用方法は、
道法の測定
御蔵から城下全祝之森村の道法を測定する
ルート図の作成 その1
| 道法を検討するのに、ルート図を用います。 しかし、ホームページで利用可能なルート図は、ありません。そこで、ルート図を作成する必要があります。 ルート図の作成には、
「位置情報データベース」の「国土地理院基盤地図情報(行政区画の境界線・道路縁・軌道の中心線・水涯線)の表示と編集」を用います。
愛媛県愛南町の満倉から深浦へいたるルート図の作成を例にとり、その使用方法を説明します。
その使用方法は、
ルート図の作成
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ルート図の作成 その2
| 道路縁情報が利用できない場合、グーグルマップを用いて、ルート上のポイントを指定してルート図を作成します。
その使用方法は、
ルート図の作成 その2
この方法を用いて、 宇和島の海岸線の変遷や肘川のルート図を作成しました。
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道法の測定 その2
| 道法の測定には、「位置情報データベース」の「スケール,距離・方位,位置,道のり1,コンパス,分度器,扇,面積,方眼,道のり2」の「道のり1」の機能が利用できます。
その使用方法は、
道法の測定 その2
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伊予の遍路道
| 御蔵から城下全祝之森村までのルート図は、「伊予の遍路道」(平成13年度 遍路文化の学術整理報告書 愛媛県生涯学習センター)を参考にして作成しています。
伊予の遍路道
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ルート図の作成 その3
| 「位置情報データベース」 − 「国土地理院基盤地図情報(行政区画の境界線・道路縁・軌道の中心線・水涯線)の表示と編集」 − 「道路縁データの表示と編集」を利用して作成した複数のルート図に対して、編集を行います。
道路縁データの編集
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道路縁データの編集 その2
| 編集済みのルート図(線データ)と地点の緯度・経度データ(点データ)を用いて、それらをグーグルマップ上に表示するホームページを作成します。
道路縁データの編集 その2
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津島全野井村から御城下へ
| 津島全野井村から御城下への津出道法は、「但津出道法御城下迄弐里拾五町三拾間、内拾五町拾間野井坂といふ坂有、馬不持百姓難儀之由。」と記述されています。 この記述に照らして、当時の野井村が何処にあったかの検討を行います。
津島全野井村から御城下へ
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肘川を利用した津出
| 山奥上・山奥下・野村内上と一部の野村内下の村からの津出は、肘川(ひじかわ)を利用して大洲藩賀屋村の須合田(すごうだ)の蔵に行われていました。
肘川を利用した津出
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津出しと庄屋
| 各村の何処から津出しが行われたかを確定する上で、庄屋の所在地を知ることが手掛かりになります。
津出しと庄屋
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