月の位相、24節気、旧暦(太陰太陽暦)
(付 節気、旧暦、干支、六耀)

月の位相 (太陽の光による満ち欠け)

 太陽の視黄経をλs、月の視黄経をλm とすると、
種類条件計算式
λm-λs = 0° sin(λm-λs)=0 , cos(λm-λs)=1
上弦λm-λs = 90° sin(λm-λs)=1 , cos(λm-λs)=0
λm-λs = 180°sin(λm-λs)=0 , cos(λm-λs)=-1
下弦λm-λs = 270°sin(λm-λs)=-1 , cos(λm-λs)=0

二十四節気(現代の定義)

節気
名称
太陽
視黄経
よみかたおおよその日付 中気
名称
太陽
視黄経
よみかたおおよその日付
立春315°リッシュン2月4日 雨水330°ウスイ2月19日
啓蟄345°ケイチツ3月6日 春分シュンブン3月21日
清明15°セイメイ4月5日 穀雨30°コクウ4月20日
立夏45°リッカ5月6日 小満60°ショウマン5月21日
芒種75°ボウシュ6月6日 夏至90°ゲシ6月22日
小暑105°ショウショ7月7日 大暑120°タイショ7月23日
立秋135°リッシュウ8月8日 処暑150°ショショ8月23日
白露165°ハクロ9月8日 秋分180°シュウブン9月23日
寒露195°カンロ10月9日 霜降210°ソウコウ10月24日
立冬225°リットウ11月8日 小雪240°ショウセツ11月23日
大雪255°タイセツ12月7日 冬至270°トウジ12月22日
小寒285°ショウカン1月6日 大寒300°ダイカン1月20日

おおよその日付は、太陽暦による。

 このように二十四節気を中気と節気にそれぞれ交互に配分している。 このなかでも12個の中気が大切である。12は1年12ヶ月と対応している。 二十四節気の名称は勿論、季節に対応した呼び名である。 農耕・漁労民族にとって季節と月の位相は生活に欠かせないものである。

旧暦(太陰太陽暦)の月の決め方

 現在日本の公式な暦は太陽暦である。 それ以前は天保暦(太陰太陽暦)が公式な暦として使われていた。
 現在、旧暦と呼ばれている暦は、基本的には天保暦に準拠しているが、 時刻法は明治の改暦に従い、0時(日の始まり)は、 平均太陽が東経135°の地点で正中(南中)時刻に改めた。 天保暦は京都の経度で真太陽が正中(南中)時刻をもって日に始まり時刻としており、 さらに時刻を不定時法に従って記載されていた。
 不定時法とは、夏は昼間が長く、冬は昼間が短い、 これにあわせて明け六つ(払暁)から暮れ六つ(黄昏)までの時間が夏は長く、冬は短くなっていた。 それで天保暦の時刻法をそのまま踏襲することは不便きわまるから改めたのであろう。

 旧暦の基本は、朔を含む日を一日(月の第1日目)とした。 そして次の朔を含む日を翌月の一日とした。 月の位相に従って日をカウントしてゆくのである。 それがその年の何番目の月であるかは、以下の規則で定めた。
冬至を含む月を11月春分を含む月を2月
夏至を含み月を5月秋分を含む月を8月

とする。 このように、月名と季節とが大体合うように四季の月を始めに押さえておくのである。 二至二分はいずれも中気である。

 12の中気から4の中気を除くと8つの中気が残る。それを順に当てはめるとすると
大寒 12月雨水 1月穀雨 3月小満 4月
大暑 6月処暑 7月霜降 9月小雪 10月
となる。

 そして、これでうまくゆく場合が多いのであるが、平均して19年に7回、 このようにうまく当てはまらない年が出てくる。
 この理由は、朔から朔までの平均の日数は29.530589日であり、これが太陰暦の月の長さであり、 これを12倍すると、354.367068日となる。 すなわち太陰暦の12か月は、太陽暦の12か月365.2422日より10.875日だけ短い。
 実際には、暦であるから半端な数字、小数点がついた数字は取り扱えなくて、 太陰暦の月は29日(小の月)と30日(大の月)とに振り分けて半端な数字を調整している。 これは太陽暦の1年を365日(平年)と366日(閏年)とに分けて半端な数字を調整しているのと同様である。
 これは別な表現を使うと、太陽が、ある中気から次の中気までの間に角度にして30°進のであるから、 太陽が等速に黄道上を進むととすれば、平均して30.43865日かかる。 これは朔望月(平均値)の29.530589日より長いのであるから、 どの中気をもまたがない月(太陰暦の月)が生じてくる。 これを、従来から、「中気を含まない月」という表現でこの状況を説明し、 このような月を閏月にすると決めたのである。
 たとえば、ある朔の時の太陽の黄経は242°であった、次の朔の時の黄経は253°であったとする。 この間に太陽は中気に該当する黄経に達していない、あるいは通過してない、 それで月の名前を付けようがない。それで閏月という名称にし、13月という名称はつけないのである。

六耀

 日本の太陰太陽暦には、大抵それぞれの日に六耀という名前が付けられている。
 六耀とは先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口 の6つの名称で、この順でつけられている。
しかし、七曜のように日、月、火、水、木、金、土 が順序正しく、 年、月、日とは関わりなくつけられてゆくのではない。次のようにつけられてゆく。
1,7月 の1日は先勝
2,8月 の1日は友引
3,9月 の1日は先負
4,10月の1日は仏滅
5,11月の1日は大安
6,12月の1日は赤口

 それで、小の月の最終の六耀と次の月の六耀とはつながらず、一つ飛ぶことになる。 また、閏月の六耀は直前の月の規則に従う。

雑節

 二十四節気以外に次のような 雑節 と称するものがある。
節分立春の日の前日
八十八夜立春の日から数え始めて88日目の日
二百十日立春の日から数え始めて210日目の日
入梅太陽の視黄経が80°になった瞬時
半夏生(ハンゲショウ)太陽の視黄経が100°になった瞬時
春の土用(の入り)太陽の視黄経が27°になった瞬時
夏の土用(の入り)太陽の視黄経が117°になった瞬時
秋の土用(の入り)太陽の視黄経が207°になった瞬時
冬の土用(の入り)太陽の視黄経が297°になった瞬時

 彼岸(ヒガン)
 春分および秋分の3日前を彼岸の入り、春分、秋分の日を中日、 この中日を含む前後3日を合わせた7日間を彼岸という。

 社日(シャニチ)
 春分、秋分の日に近い前(または後)の戊(つちのえ、ボ)の日とする。 (干支は十干十二支 のことで、60を周期とする数え方で、年と日との使われている。)

年の干支、日の干支の計算規則、計算式

 これらは明治6年以降であれば間違いないが、過去に遡って適用するのは止めた方が賢明である。
 日本だけでも9回改暦が行われていた。中国ではもっと頻繁に改暦をしている。 三正綜覧(内務省地理局、明治13年)、日本暦日原典(内田正男編、昭和50年)などが権威あるものとして挙げられる。  ただし、これらは東洋暦と西洋暦との比較対照表であって干支は掲載されていない。
 これらを典拠として太陰太陽暦とグレゴリオ暦との対応が正しく付けられれば、日の干支の式は適用できる。 年の干支も年末年始に気を付ければ対応づけられる。

年の干支

 年の干支は簡単で、西暦年数を60で割り、余りの数によって、自動的に その年の干支が定まる
 干支よみかた  余りの数十干十二支
1甲子きのえねカッシコウシ4
2乙丑きのとうしイッチュウオッチュウ5
3丙寅ひのえとらヘイイン6
4丁卯ひのとうテイボウ7
5戊辰つちのえたつボシン8
6己巳つちのとみキシ9
7庚午かのえうまコウゴ10
8辛未かのとひつじシンビ11
9壬申みずのえさるジンシン12
10癸酉みずのえとりキユウ13
11甲戌きのえいぬコウジュツ14
12乙亥きのといイツガイオツガイ15
13丙子ひのえねヘイシ16
14丁丑ひのとうしテイチュウ17
15戊寅つちのえとらボイン18
16己卯つちのえうキボウ19
17庚辰かのえたつコウシン20
18辛巳かのとみシンシ21
19壬午みずのえうまジンゴ22
20癸未みずのとひつじキビ23
21甲申きのえさるコウシン24
22乙酉きのととりイツユウオツユウ25
23丙戌ひのえいぬヘイジュツ26
24丁亥ひのといテイガイ27
25戊子つちおえねボシ28
26己丑つちのとうしキチュウ29
27庚寅かのえとらコウイン30
28辛卯かのとうシンボウ31
29壬辰みずのえたつジンシン32
30癸巳みずのとみキシ33
31甲午きのえうまコウゴ34
32乙未きのとひつじイツビオツビ35
33丙申ひのえさるヘイシン36
34丁酉ひのととりテイユウ37
35戊戌つちのえいぬボジュツ38
36己亥つちのといキガイ39
37庚子かのえねコウシ40
38辛丑かのとうしシンチュウ41
39壬寅みずのえとらジンイン42
40癸卯みずのとうキボウ43
41甲辰きのえたつコウシン44
42乙巳きのとみイッシオッシ45
43丙午ひのえうまヘイゴ46
44丁未ひのとひつじテイビ47
45戊申つちのえさるボシン48
46己酉つちのととりキユウ49
47庚戌かのえいぬコウジュツ50
48辛亥かのといシンガイ51
49壬子みずのえねジンシ52
50癸丑みずのとうしキチュウ53
51甲寅きのえとらコウイン54
52乙卯きのとうイツボウオツボウ55
53丙辰ひのえたつヘイシン56
54丁巳ひのとみテイシ57
55戊午つちのえうまボゴ58
56己未つちのとひつじキビ59
57庚申かのえさるコウシン0
58辛酉かのととりシンユウ1
59壬戌みずのえいぬジンジュツ2
60癸亥みずのといキガイ3

 ただし明治6年以前は、太陰太陽暦であって一年は12ヶ月であったり13ヶ月であったり、 年初が違うので注意する。

日の干支

 日の干支は、グレゴリオ暦から第1式で十干を求め、 第2式で十二支を求めて、その日の干支を求める。


B=4c+[c/4]+5y+[y/4]+[(3m-7)/5]+d-1 ・・・ (1)

1月、2月は一年前の13月、14月とする。

1974年1月1日の十干を求める
c=19, y=73, m=13, d=1 を(1)に入れて
B=4*19+[19/4]+5*73+[73/4]
  +[(3*13−7)/5]+1-1
 =469/10=46・・・・・・・9  よって、壬

余りの数十干
1
2
3
4
5
6
7
8
9
0

C=8c+[c/4]+5y+[y/4]+6m+[(3m-7)/5]+d+3 ・・・(2)

1月、2月は一年前の13月、14月とする。

1974年1月1日の十二支を求める,
c=19, y=73, m=13, d=1 を(2)に入れて
C=8*19+[19/4]+5*73+[73/4]+6*13
  +[(3*13-7)/5]+1+3
 =627/12=52・・・・・・3 よって、寅

余りの数十二支
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
0


 よって1974年1月1日の干支(えと)は 壬寅(みずのえとら、ジンイン)である。

注意   これら(1)、(2)式は、明治の改暦以後(明治6年、1873年)にだけそのまま通用する。